【天城山心中事件】愛新覚羅慧生(ラストエンペラーの姪)は美人?写真や画像で確認!

皆さんこんちには!

今回は、12月1日に放送される爆報!THE フライデーで

天城山心中事件が取り上げられるそうで、

その中心人物でもあるラストエンペラーの姪である

愛新覚羅慧生についてみていきたいと思います!

かなり身分も高そうですが、一体どのような方なのか

気になりますね!

では、みていきたいと思います!

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愛新覚羅慧生のプロフィール

出典:http://www.baike.com/

名前:愛新覚羅慧生(あいしんかくら えいせい)

生年月日:1938年2月26日

死去:1957年12月4日ごろ

出身地:満州国新京市

愛新覚羅慧生は、清および満州国皇帝の

愛新覚羅溥儀の実弟溥傑の長女です。

溥傑の妻は嵯峨浩で1937年4月に日本内地で結婚し、

千葉市稲毛で新婚生活を始めます。

1938年に2人の第一子として生まれたのが

愛新覚羅慧生でした。

1940年に妹が生まれた後新京に戻られます。

1943年に学習院幼稚園に通うために再び日本に来て

日吉にある母の実家の嵯峨家に預けられます。

その後は学習院初等科、学習院女子中等科、

学習院女子高等科、学習院大学文学部国文科で

勉学に励みます。

学習院大学文学部国文科で天城山心中事件での

心中相手となる大久保武道と出会います。

その後交際に発展するが身分の格差もあり

家族には交際を打ち明けることはなかったみたいです。

1957年12月4日のよるごろに天城山で

大久保の所持していたピストルで

大久保と心中死したと推察されています。

心中死と推定されているようですが、

慧生の親友「オサト」は大久保の自殺に

巻き込まれたというような証言もしていますね。

「オサト」とは慧生の中高生時代からの親友で、

大久保との出会いから交際まで相談を受けていた

人物です。

大久保と慧生は天城山に向かう際はタクシーだった

ようですが、タクシー内では慧生が大久保に対し

「帰りましょう、ねえ帰りましょう」

「今ならまだ間に合うから、帰りましょう」

と大久保の自殺を引き留めようとしていた様子が

タクシー運転手からの証言で分かっています。

実際のところは慧生は死ぬつもりもなく、

死にたくはなかったけれど死に引きずり込まれた

のかもしれないですね・・。

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天城山心中事件とは?

天城山心中とは、1957年12月10日に

伊豆半島の天城山において、4日前から行方不明となり

捜索されていた学習院大学の男子学生の大久保武道と

同級生女子の愛新覚羅慧生の2名が、

大久保の所持していた拳銃で頭部を

撃ち抜いた状態の死体で発見されました。

当時のマスコミ等で「天国に結ぶ恋」として

報道されました。

現在のところは真相は分かっておらず、

推測の部分も多い事件のようですね。

番組では、今まで公開されていないような

新事実が放送されるようで、一体どのような

真相があったのでしょうか。

まとめ

皆さんいかがでしたでしょうか?

今回は、12月1日に放送される爆報!THE フライデーで

天城山心中事件が取り上げられるそうで、

その中心人物でもあるラストエンペラーの姪である

愛新覚羅慧生について調べてみました!

世の中にはいろいろな事件がありますが、

このような悲しい事件は二度と起こってほしく

ないですね。

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