
東京・錦糸町の眼科医、
梶原一人さん。
YouTubeチャンネル
「100年生きる!眼科チャンネル」で、
目の話を続けている
先生です。
じつはこの先生、
開業する前は
ハーバード大学と
スタンフォード大学で
研究をしていました。
研究者だった人が、
どうして街の眼科医になり、
カメラの前で
話すようになったのか。
本人のサイトや著書、
取材記事、
チャンネルの動画をもとに
たどっていきます。
梶原一人さんのプロフィール
名前:梶原一人
(かじわら かずと)
生年月日:1959年1月4日
出身:東京都品川区
勤務先:眼科かじわら
アイ・ケア・クリニック
(院長)
YouTube:
@100years_ganka_channel
生年月日と出身は、
本人のパーソナルサイト
の経歴に
書かれています。
アイザック・ニュートンと
同じ1月4日生まれだそうで、
「何アピール?(笑)」と
自分でつっこんでいます。
2026年10月13日の時点で
67歳ですね。
同じページには、
趣味として
スキーやスノーボード、
テニス、ギター、
オートバイが並んでいます。
座右の銘は
「ロウソクは身を減らして
人を照らす。」
なのだそうです。
慶應の医学部から、眼科医へ
本人のサイトの経歴では、
1985年3月に
慶應義塾大学医学部を卒業し、
眼科学教室に
入っています。
入学した最初の2年間は
「音楽とスポーツと
アルバイト三昧」で、
3年生になってから
人が違ったように
勉強したそうです。
1986年からは
国立東京第二病院
(のちの国立東京医療センター)
の眼科に勤めました。
ここで出会った
秋山健一先生を、
梶原さんは
恩師として挙げています。
アメリカへの留学を
決めたのも、
この病院にいた
ころだったそうです。
1988年には
大田原赤十字病院の
眼科部長になりました。
失明していく
多くの患者さんを見て、
基礎医学の研究を
したい気持ちが
強くなった、と
書かれています。
ハーバードとスタンフォードでの研究
1990年7月、
梶原さんは
ハーバード大学医学部へ
留学しました。
本人のサイトによると、
Dryja博士らと
網膜色素変性症の
原因遺伝子の研究に
取り組んでいたそうです。
その研究について、
1992年3月に
慶應義塾大学から
博士(医学)を
授与されています。
本人のサイトと
書籍の著者紹介
には、
英科学誌Natureと
米科学誌Scienceに
論文が載ったことも
書かれています。
日本人で初めて
ハワード・ヒューズ・
メディカル・
インスティテュートの
奨学生になった、とも
紹介されていますね。
そのあとは
スタンフォード大学医学部の
神経生物学教室に
移りました。
ただ、その年は
本人のサイトが
「1996年1月に正式採用」、
書籍の著者紹介が
「1994年に移籍」で、
資料によって違います。
帰国後の1999年2月には、
理化学研究所
脳科学総合研究センターの
神経再生研究チームで
チームリーダーに
就いたとあります。
書籍の紹介文には
「ハーバードとスタンフォードで11年」
という一文もあります。
ただ、本人のサイトの年表では
1990年7月の留学から
1999年2月の理化学研究所まで
8年半ほどで、
どこまでを数えた11年なのかは
分かりませんでした。
治療法の確立は「自分が生きているうちに」は難しいと悟って開業へ
研究の道から
開業医に移った理由は、
ドクターズ・ファイル
の取材
(取材日2017年10月26日)
で語られています。
スタンフォードでは
再生医療を研究したものの、
「学べば学ぶほど
自分が生きているうちに
治療法を確立するのは
難しいと悟ってしまって」
と話しています。
そこで
「目の前にいる
一人ひとりの患者さんを
治す方を選び、
原点に戻って日本で
開業することを決意しました」
とのことです。
長く研究の道を
歩いてきた人の
決断としては、
かなり思い切ったものだった
のではないでしょうか。
2006年4月に
「眼科かじわら
アイ・ケア・クリニック」を
開業しました。
クリニックの公式サイトによると、
開業から10年目の2016年に
錦糸町駅直結の場所に
なったそうです。
2017年の同じ取材では、
10時に配る整理券を求めて
8時ごろから
並ぶ人もいると
話していました。
恩師の秋山先生からは
「これが自分の親だったら
どうするかを考える」
という教えを受けたそうです。
「医療は究極のサービス業」
というのが
梶原さんのモットーだと
語っています。
最初の動画は「Youtubeチャンネルはじめました!」
チャンネルの最初の動画は、
2022年3月18日の
「【世界の眼科医ドクター梶原】
Youtubeチャンネル
はじめました!」です。
概要欄には
「眼科医の梶原一人です✋
本日よりYoutubeを始めます」
とあります。
チャンネルの説明文でも、
この動画を
「自己紹介動画」として
案内しています。
YouTubeのデータでは
チャンネルの作成日は
2021年12月21日で、
最初の動画は
その3か月ほどあとですね。
クリニックを運営する
医療法人社団一義会の
2022年6月の発表
によると、
始めてから3か月で
登録者は約2.5万人に
なりました。
同じ発表は、
チャンネルを始めた理由を
「眼科難民」の人たちに
「正しい情報を
詳しく易しく説明する」
ためだと書いています。
「眼科難民」は、
どこへ行けばいいのか
分からない患者さんを指す
言葉として、
本人のサイトにも
何度も出てきます。
タカポンさんの「卒業」と、しほちゃさんのインタビュー回
始めたころの動画は、
タカポンさんが
「一般視聴者代表」として
質問し、
梶原さんが答える形でした。
2022年11月20日の
「【ご報告】
視聴者の皆様に
お伝えすることがあります...」
では、
眼科クイズが
タカポンさんの
「卒業試験」になっています。
その翌月には、
しほちゃさんの名前が
概要欄に出てきます。
ただ、2026年10月13日に
全1,308本の概要欄を見たかぎり、
しほちゃさんの名前があるのは
2本だけでした。
タカポンさんのあとを
決まった聞き手が
引き継いだのかどうかは、
概要欄からは分かりませんでした。
2022年12月3日には、
しほちゃさんが
梶原さんに内緒で
クリニックのスタッフに
インタビューする回も
出ていました。
2024年2月18日には、
しほちゃさんが
「先生はなぜ
眼科医になったのでしょうか?」
と聞く回も出ています。
概要欄によると、
しほちゃさんが
「なぜ眼科医になったか?」
などをインタビューした回です。
どんなテーマを発信しているのか
チャンネルを始めてから
6月末までの105日間は、
1日も欠かさず
動画を出していました。
2026年10月13日の時点で、
題名にいちばん多く出てくる
病名は緑内障で、
1,308本のうち
162本にあります。
白内障や老眼、
メガネやコンタクトの話も
よく出てきます。
よく見られている回には、
朝食や食べ物を
テーマにしたものが
目立ちますね。
2024年7月から9月にかけては
「梶原クッキング」
という料理の回も
3本出ています。
ハーバードで研究していた
網膜色素変性症も、
同じ時点で
6本の動画の題名に
出てきます。
研究者だったころの
テーマが、
チャンネルにも
つながっているようです。
なお、この記事では
動画の中で紹介されている
治療や食べ物の効果には
立ち入りません。
気になる症状がある方は、
動画だけで判断せずに
眼科で診てもらうのが
いちばんでしょうね。
2冊の著書。2冊目は動画と連動した本
著書としては、
2021年7月に
ダイヤモンド社から
『ハーバード ×
スタンフォードの眼科医が教える
放っておくと怖い目の症状25』
が出ています。
小学館の
サライ.jp
も、2021年10月に
この本を
書評で取り上げていました。
本人のサイトの
メディア欄によると、
2022年の8月から10月には
「DIAMOND online」の
連載の回が並んでいます。
2025年11月8日には、
かや書房から
『ハーバード×スタンフォードの
医師が教える
100年生きる食事術』
が出ました。
医療法人社団一義会の
2026年6月の発表
によると、
ページのQRコードから
関連する動画が見られる、
YouTubeと連動した本です。
同じ発表では、
この本が
「グルマン世界料理本大賞2026」
の3部門に
ノミネートされたと
伝えています。
発表には、
最終候補の発表は
2026年10月20日の予定と
書かれています。
この記事を書いた
10月13日は、
その発表より前です。
チャンネルの数字
2026年10月13日に
当サイトが測った数字は、
登録者36.5万人、
総再生は
約9,916万回です。
動画は1,308本で、
いちばん新しい動画は
2026年10月11日に
出ていました。
2024年11月5日には、
登録者30万人の
達成を報告する
動画を出しています。
年ごとの本数は、
2022年が289本
(3月18日から)、
2023年が364本、
2024年が318本、
2025年が248本です。
3分を超える動画が
ほとんどで、
真ん中の長さは
12分ほどでした。
じっくり説明を聞く
タイプのチャンネル、
と言えそうですね。
まとめ
梶原一人さんは、
慶應の医学部を出て、
ハーバードと
スタンフォードで
研究をしてきた眼科医です。
「自分が生きているうちに」
治療法を作るのは難しいと考え、
2006年に
錦糸町で開業しました。
2022年からは
YouTubeで、
目の話を中心に
発信を続けています。
研究の世界から
診察室へ、
そしてカメラの前へと
場所を移してきた
先生なんですね。



















