
日本に住みながら、
車とドリフトの話を
英語で世界へ届けている
人がいます。
YouTubeチャンネル
「SAMMIT」の
Sam Lucas
(サム・ルーカス)さんです。
動画の題名を並べると、
「なぜ日本を去ったのか」
という言葉が何度も
出てきて驚きます。
もっとも、中身を調べると
話はだいぶ違いました。
今回は、本人の動画の
説明欄と字幕、
Formula Drift Japanの公式サイト、
海外メディアの取材記事を
調べてみました。
数字は2026年10月31日の
時点で、当サイトが
YouTubeのAPIで測った値です。
動画そのものは視聴しておらず、
内容は字幕と説明欄で
確かめています。
英語は当サイトの訳です。
SAMMITのプロフィール!出身や年齢は?
チャンネルの登録者は
2026年10月31日の時点で
81万3,000人です。
総再生は約1億9,920万回、
動画は1,999本でした。
概要欄には、日本での暮らしを
見せるチャンネルで、
日本の文化と車、ドリフトが
大好きだと書かれています。
サム・ルーカスという表記は、
Formula Drift Japanの公式サイトの
ドライバー一覧のものです。
同じ一覧には
オーストラリアの国旗が
添えられていました。
本人も2016年の動画で
「オーストラリア人の自分は」
と話しています。
2023年の動画では、
クイーンズランド寄りの
人間だとも語っていました。
ただ、生まれた街までは
確かめられませんでした。
チャンネルの最初期の説明欄には
Samuel Lucasという名前で
撮影と編集のクレジットが
入っています。
本人が名乗っている名前と
考えてよさそうですね。
年齢については、
EarlyGameの2023年5月の記事に
33歳と書かれていました。
もっとも、本人の発言では
裏が取れていません。
生年月日も見当たらず、
少し肩透かしかもしれません。
結婚については、
題名に「wife」が入る動画が
52本あります。
いちばん古いのは
2018年6月の回でした。
日本人の妻が
動画によく登場していて、
2026年5月にも
妻の夢の車を贈る回を
出しています。
放送の裏方からドリフトの世界へ
日本へ来た時期は、
2015年の半ばと読めます。
2016年7月の動画で、
今週で日本に住んで
ちょうど1年だと
話しているからです。
スポンサー契約を結んだ
ビィ・フォアードの発表も、
移住を2015年としていました。
一方で、移住の理由は
資料によって書き方が
違います。
その発表は、日本式の
ドリフトを学ぶためだった
と書いています。
2022年の本人の動画の冒頭でも、
日本で一番の人たちから
学びたいという言葉が
字幕に出てきます。
ところが
Metropolisの2023年の記事は、
放送の仕事の機会を選び、
車への情熱は後回しにした、
と書いていました。
どちらが正しいとは、
ここでは決められません。
本人の経歴の話として、
放送の仕事のほうは
動画でも語られています。
2024年の回では、
以前の仕事を
日本最大のスポーツ放送局の
ライブ技術だったと説明し、
F1の映像を切り替えて見る
仕組みの開発に関わった、
と話していました。
局の名前は、確認した字幕には
出てきませんでした。
車の世界へ戻るきっかけは、
日本に住んで数年後の
出会いだったようです。
Metropolisの取材で本人は、
Yashio Factoryのオーナーの
オカチャンに出会って、
車への情熱がよみがえったと
話しています。
「彼が自分をプロのドライバーに
育ててくれた」という
言葉も残していました。
大きな出会いだったのでしょうね。
2017年には、そのオカチャンを
オーストラリアのドリフトの
イベントへ連れていく
動画も出しています。
公開中でいちばん古い動画は、
2016年2月5日の
白馬のスノーボード旅行です。
開設のわずか6分後の公開で、
この日だけで7本が並び、
「VLOGS Ep 7」のような
連番の動画も含まれています。
それ以前に作っていた動画を
載せ直したのかもしれません。
投稿の本数は、
2018年の116本から
2019年には315本へ跳ね上がりました。
同じ年の6月に5万人、
11月に10万人の登録者を
題名で祝っています。
Metropolisの取材は、
2023年の時点で
YouTube専業になって4年
という本人の言葉を
伝えていました。
自分の車の店を持ち、
スタッフが3人いるとも
話しています。
公式ストアの
sammit.netでは、
服だけでなく車の部品も
売っていました。
「日本を去る」と題した13本の行き先
題名に「LEFT JAPAN」
「GOODBYE JAPAN」のような
言葉が入る動画を数えると、
2026年10月31日の時点で
13本ありました。
なかなかの本数ですよね。
2021年12月の回の説明欄には、
日本を離れて、戻るかどうかも
分からないとまで書いてあります。
しかし字幕を開くと、
米国の友人を驚かせに行く
旅の動画でした。
2022年3月の
「WHY I DECIDED TO LEAVE AGAIN!」
にいたっては、行き先が沖縄です。
説明欄をよく読むと、
日本の本州を離れる、
と書いてありました。
たしかに、うそではないですね。
2023年9月の
「WHY I REALLY LEFT JAPAN!」は、
シドニーのイベントに呼ばれた
オーストラリア旅行でした。
ほかの回も、
ラスベガスのSEMAショーや
マレーシアの車のイベントなどで、
字幕と説明欄で見た限り、
どれも旅行や遠征、出張、
家族の用事での渡航でした。
Driftedの2025年1月の記事も、
あからさまな釣り題名が
混ざることに触れていました。
それでも本人の動画は
現実の経験に根ざしている、
という評価でしたね。
ちなみに、本当に
帰れなくなったこともあります。
2020年の動画によると、
新型コロナの影響で
4か月も米国から
日本へ戻れませんでした。
帰国の回の説明欄には
「やっと家に帰ってきた」
と書かれていました。
2016年の時点で、
オーストラリア出張中に
日本が恋しくなった
と話していた人です。
この人にとって帰る場所は、
もう日本なのでしょうね。
再生1位は60秒の「マフィアの車」の動画
動画を全件調べて
再生順に並べると、
1位は2023年11月の短い動画で、
1,159万回でした。
1,999本の頂点が60秒というのは、
少し意外ですよね。
中古の高級セダンの
トランクが開かず、
調べると隠しスイッチが
見つかった、という60秒です。
車は2023年4月の
購入の回で
いきさつを話しています。
オークションで買って
動画を出したところ、
出品者から削除を求められました。
約7万人が見た最初の動画を
いったん取り下げたそうです。
本人の説明では、この車は
本来は廃車にされるはずの
ものだったといいます。
本人はそこから、
暴力団の車だったのではないか
と見ていました。
もっとも、これは本人の推測で、
実際の持ち主を確かめた話では
ありません。
2位以下は長い動画で、
2020年8月の
納屋の名車探しが465万回、
2021年1月の
日本の車オークションの回が
445万回でした。
外国人の目には珍しい
日本の中古車の世界を、
買う側として見せるのが
得意な人なのかもしれません。
2026年9月に出した
日本の名車の値段を調べる回も、
10月31日の時点で
103万回まで伸びていました。
エビスの地震と配信の出来事
忘れられないのが、
2021年2月13日の地震です。
本人は福島の
エビスサーキットの近くの
ホテルのロビーにいて、
机の下に隠れながら
撮影しています。
生きた心地がしなかったでしょうね。
翌朝にはサーキットの
被害を確かめ、
動画で支援を呼びかけています。
Metropolisによると、
ほかの車系の発信者や
サーキットのオーナーたちとの
取り組みで、
世界から10万ドル以上が
集まったそうです。
Twitchの配信でも
話題になりました。
Dexertoの2023年5月の記事は、
ドリフトマツリの配信中に
燃える車を見つけ、
消火器で火を消した場面を
報じています。
同じ月にはEarlyGameが、
東京の路上で女性に
つきまとう男の間に入った場面を
取り上げていました。
放送の技術も生きています。
車内のカメラを
配信の視聴者が切り替えられる
仕組みを自分で作ったと、
Metropolisで話していました。
元の仕事で作ったものは
会社のものになったけれど、
その知識を今度は自分のために
使っているわけですね。
一方で、2024年9月の配信では、
ここ数か月がこれまでで
いちばん燃え尽きた状態だと
打ち明けています。
原因は1つではなく、
いろいろなことが
次々に重なった結果だ、
という説明でした。
「自分は失敗作じゃない」Formula Drift Japanへの挑戦
競技の話に移ると、
2022年5月の動画で本人は
Formula Drift Japanの
下のクラスにあたるJ2への
参戦を発表しています。
説明欄には
「夢がかなった」とあり、
初走行の回には
10年間の夢だったと
書かれていました。
もっとも、順調では
ありませんでした。
8月公開の回では、
前戦は予選を通れず
ポイントなしだったところから、
4位まで上がった、
と説明しています。
公式サイトのドライバー一覧では、
2022年と2023年がJ2、
2024年から上のFDJです。
上のクラスで初めて
予選を通ったことを
題名にしたのが、
2024年8月の動画でした。
この回の字幕で本人は、
頭に浮かび続けていたのは
自分は失敗作だ、
という言葉だったと話します。
そして感情を抑えながら、
結局のところ自分は
失敗作じゃない、と
締めくくっていました。
車好きの大人が
カメラの前でここまで言うのは、
なかなか見られない場面でしょうね。
ビィ・フォアードの発表では、
2024年4月から同社が
チームのスポンサーになり、
契約は2026年3月まで
更新されていました。
2026年6月から7月の動画の
説明欄にも同社への
リンクが並んでいますが、
競技チームの契約が
続いているかは
確認できませんでした。
2025年は予選を通れない回もあり、
9月には奥伊吹で
正面から壁に当たる事故を
起こしました。
Driftedの記事によると、
進入で右前のロアアームが
折れたのが原因だそうです。
2026年の4月の動画では、
タイトルスポンサーが
急に降りたと話しています。
名前は出しておらず、
どの会社かは
確認できませんでした。
そこへ助け舟を出したのが、
友人のLinusさんでした。
Linus Tech Tipsのストアが
スポンサーについた回で、
本人は本当に助けられたと
話しています。
車の世界の外から支援が来るのは、
かなり珍しい形ではないでしょうか。
2026年のシーズンは、
本人の言葉で
これまでで最高のものでした。
第1戦の富士で予選を通過し、
9月公開の回では
予選12位まで上がっています。
その回の、自分は一発で
表彰台に立つ人ではなく、
50回目でやっとできるサムだ、
という言い方は
この人らしいですね。
最終戦の岡山は
追走に進めず、
審査に納得がいかないと
話していました。
2026年の夏、D1への挑戦と本人が最大と呼ぶ事故
2026年の夏は、
Formula Driftの外へも
踏み出しています。
7月の動画によると、
狙いはD1 NEXTに出て、
D1GPのライセンスへの道を
歩きはじめることでした。
D1と題した初参戦の回は、
予選6位、トップ16という
結果でした。
上位に入れば
ライツクラスの資格に近づく、
という話も字幕に出てきます。
資格を取れたかどうかは
確認できませんでした。
8月には、エビスの
サマードリフトマツリで
本人が最大と呼ぶ事故に
遭いました。
首の痛みだけで済んだものの、
R32スカイラインの車体は
修復できないと書かれています。
9月には、マレーシアで
初めてのD1GPに臨みました。
ところが用意された車が燃え、
別の車をもらってもエンジンが
壊れ、遠征中に3基を失って、
結局は競技に
出られなかったそうです。
本人には苦い遠征だったでしょうね。
これだけ続くと
心配になりますが、
10月31日の時点で
今年の投稿は165本あり、
その日の午前2時にも
新しい回を出していました。
9月には、5年間乗った
ピンクのチェイサーの車体を
手放す回も出していました。
車体を替えて、
チェイサーには
乗り続けているようですね。
日本の車文化を英語で伝える人では、
noriyaroの記事もあります。
Driftedの紹介でも
並んで挙げられている2人です。
国内のドリフトの話なら、
釣りよかでしょう。の
むねおさんがFDJ3に出た
こちらの記事と
読み比べるのも
おもしろいかもしれません。




















