
「沖縄の人はみんな
大切な仲間や家族を
失っているけど、
前を向いて
生きてきたんだぞ」
夫を亡くして
ふさぎ込んでいた娘に、
父親がかけた言葉です。
その娘が、
沖縄県那覇市出身の
ラッパー、
Awich(エーウィッチ)です。
音楽に戻った彼女は、
その後、日本武道館に立ち、
ウータン・クランのRZAと
アルバムを作りました。
この記事では、
本名と名前の由来、
夫との死別、
娘との関係、
そして2026年11月に
予定されている
オーケストラ公演までを、
本人の言葉を中心に
見ていきます。
チャンネルの数字は、
2026年11月1日に
当サイトが測った値です。
Awichのプロフィール!年齢や出身は?
公式サイトの経歴によると、
Awichの生年月日は
1986年12月16日で、
出身は沖縄県那覇市です。
2026年11月1日時点で
39歳で、
12月16日に
40歳になります。
読み方は、
公式の表記では
「エーウィッチ」です。
肩書きはラッパーで、
2026年11月1日に
確認したチャンネルの
説明欄には、
ヒップホップクルー
YENTOWNのメンバーと
あります。
デビューは2006年で、
EP『Inner Research』を
出し、
同じ時期に
アメリカのアトランタへ
渡りました。
2007年には
最初のアルバム
『Asia Wish Child』を
発表しています。
本名は?「Awich」という名前の由来
本名は
浦崎亜希子さんと
紹介されています。
KAI-YOUのキーワード解説は
「本名は浦崎亜希子」と書き、
Tatler Asiaや
GRAMMY.comも
Akiko Urasaki と
紹介していました。
一方で、
本人側の資料で
確かめられたのは
名の「Akiko」までで、
姓は見つかりませんでした。
名前の由来は、
本人側がはっきり
説明しています。
Awichは
「Asia Wish Child」の
略で、
YouTubeチャンネルの説明欄には、
これが本名の
「Akiko」の意味でもある、
と英語で書かれています。
亜細亜の「亜」、
希望の「希」、
そして「子」と
読めば、
たしかに重なりそうですね。
2パックとの出会いと、米軍基地の英語教室
文章を書き始めたのは
かなり早かったようです。
Tokyo Weekenderの
取材では、
詩を書き始めたのは
9歳のときで、
眠れない夜を
やり過ごすためだった、
と語っていました。
2022年5月のオリコンの記事によると、
小学生の頃は
沖縄アクターズスクールに
憧れましたが親に反対され、
その代わりというわけでは
ないものの、
米軍基地の中にある
英語教室へ通っていたそうです。
転機は10代前半に
2パックの音楽と
出会ったことでした。
公式の経歴では13歳、
オリコンの記事では
14歳で、
典拠によって1歳違います。
Tokyo Weekenderによると、
いとこと行った
レコード店で
目を閉じて選んだCDが、
『All Eyez on Me』でした。
公式の経歴は、
英語の主な教科書は
2パックの歌詞や
インタビュー、
映画や本だった、
と書いています。
偶然手に取った1枚が
英語の先生に
なったわけですから、
できすぎた話にも
聞こえますね。
2024年の
GRAMMY.comの
記事によると、
沖縄語、日本語、英語の
3つの言葉で
書いて歌っていて、
本人は
「Each language
has its own
personality.」
(どの言葉にも
それぞれの個性がある)
と話していました。
結婚した夫との死別と、父の言葉
アメリカで
Awichはアメリカ人の男性と
結婚し、
長女を出産しました。
公式の経歴によると、
その3年後に
インディアナポリス大学で
学士号を取っています。
ところが2011年、
家族で日本へ戻る準備を
していた矢先に、
夫が亡くなりました。
オリコンの記事は、
事件に巻き込まれて
銃弾に倒れた、
と伝えています。
TOKIONの取材で
本人は、
当時の自分を
「夫を亡くした24歳の私」
と表現していました
(英語の記事を
当サイトが訳しました)。
幼い娘には、
嘘をつきたくなかったそうです。
「お父さんは亡くなったんだよ」
と伝え、
「痛いの?」と聞かれれば、
分からないものは
「わからない」と答えた、
とオリコンの記事で
語っていました。
Tokyo Weekenderでは、
娘が突然
パパが見えると言い出し、
どこにいるのかと聞くと
「どこにでも」と答えた、
という話もしています。
遺灰をまいたとき、
パパは周りのすべてに
なったのだと伝えると、
3歳の娘は
それを理解したそうです。
GRAMMY.comによると、
「Ashes」は
母娘で夫の遺灰を
海にまいたことを
歌った曲です。
Tokyo Weekenderでは、
娘と沖縄へ帰った後の気持ちを、
毎日がジェットコースターの
ようだったと語っています。
オリコンの記事で語った
「2年間くらい
ふさぎ込んでいた」
というその時期に、
冒頭の言葉をかけたのが
父親でした。
本人は
「それで目が覚めました」
と振り返っています。
Tokyo Weekenderでの
説明はさらに率直で、
父は
いつまで落ち込んでいるのかと尋ね、
沖縄の人は
自分や母も含めて
みな身近な人を
失っていると話し、
お前だけが特別ではない
と気づかされたそうです。
GRAMMY.comの記事によると、
両親は沖縄が
アメリカの統治下にあった
時代に育ち、
母親のいた学校に
米軍のジェット機が
墜落した話も
語られていました。
厳しく聞こえる言葉ですが、
そういう世代の親だから
言えたことなのかもしれません。
もう一つの支えは、
夫が生前に
けんかのときでさえ
言ってくれたという
「歌うことを続けて」
の言葉だったそうです。
沖縄では、
地域の資源や文化を生かす
制作会社を立ち上げ、
2017年には
脚本と監督を務めた
短編映画で受賞した、
とTokyo Weekenderは
紹介しています。
同じ2017年に出した
アルバム『8』は、
公式の経歴によると
10年ぶりのアルバムでした。
娘のトヨミさんとの関係は?
娘については、
2022年5月6日放送の
日本テレビ系
『MUSIC BLOOD』に、
「トヨミさん」として
本人も出演しています。
オリコンの記事によると、
放送の時点で14歳でした。
スタジオで
娘は、ふだんのAwichは
「子どもみたい」と明かし、
Awichのほうも
「逆に私にとってトヨミは
親みたいなんです」
と応じました。
子どものように振る舞うと
「ちゃんとしなさい!」と
怒られるそうで、
ステージの上の印象とは
だいぶ違う家庭の顔ですね。
ライブでの親子の共演にも触れ、
リハーサルが足りなくても
本番ではしっかりやってくれた、
「本当に頼りになります」
と話していました。
Tokyo Weekenderでは、
「娘には、被害者ではなく
リーダーになるように
教えています」
と語っています
(当サイト訳)。
娘さんの現在の活動については、
今回は確かめられませんでした。
「日本の女王」を目指して立った日本武道館まで
活動が大きく動いたのは
2020年です。
1月にアルバム
『孔雀』を出し、
7月には
ユニバーサルミュージックから
メジャーデビューしました。
翌2021年に公開した
「GILA GILA feat.
JP THE WAVY, YZERR」は、
2026年11月1日時点で
チャンネルで最も
見られている動画で、
再生回数は
約4,084万回です。
2022年3月4日の
アルバム『Queendom』について、
本人はTokyo Weekenderで
「日本の女王を目指している」
と言い切っていました
(当サイト訳)。
その10日後、
3月14日に、
初めての
日本武道館単独公演を
開きました。
TOKIONの取材によると、
本番の直前まで
不安があったのに、
始まる寸前に
「なんくるないさ」と
思えたそうです。
Tokyo Weekenderでは、
つらかった時期にも
自分に言い聞かせた言葉だった、
と語っていましたから、
同じ一言が
別の場面で効いたことになりますね。
公演の後の目標も
かなり大きなものでした。
TOKIONでは、
オノ・ヨーコのように
世界で最も有名な
日本人女性になりたい、
と話しています。
翌2023年には
「RASEN in OKINAWA」や
「Bad B*tch 美学 Remix」を
発表し、
11月5日の
K-Arena Yokohama公演
「Queendom
-THE UNION-」が
自身初のアリーナ単独公演に
なりました。
Tatler Asiaの取材では、
女性ラッパーの中で
一番だと言われてきたことに対し、
比べるなら
すべてのラッパーと比べてほしい、
と語っていました。
公式YouTubeの登録者と動画本数
公式チャンネルの登録者は、
2026年11月1日時点で
65.3万人です。
総再生回数は
約3億4,599万回で、
チャンネルページに表示される
動画の本数は266本です。
ただ、
この中には
他のチャンネルの動画も
含まれているようで、
本人のチャンネルが
投稿した動画は
260本でした。
直近の投稿は
9月23日です。
説明欄は英語で
書かれています。
チャンネル自体は
日本語の動画が中心なので、
英語チャンネルというより、
英語でも発信している人、
と見るのがよさそうです。
本人のチャンネルの動画を
年別に数えると、
2020年46本、
2021年6本、
2022年18本、
2023年89本、
2024年34本、
2025年43本でした。
2026年は、
11月1日の時点で24本です。
2023年が飛び抜けて
多いのですが、
そのうち18本は
「Bad B*tch 美学 Remix」
の舞台裏を連載した
BTS動画でした。
この曲の再生回数は
約3,007万回で、
「LONGINESS REMIX」の
約3,240万回、
「RASEN in OKINAWA」の
約2,685万回とともに、
上位に並んでいます
(いずれも
2026年11月1日時点)。
RZAと作ったアルバム『Okinawan Wuman』
2026年11月1日に
確認した範囲で
いちばん新しいアルバムは、
2025年11月21日に配信された
『Okinawan Wuman』です。
音楽ナタリーの記事によると、
全13トラックを
ウータン・クランの
創設メンバーである
RZAが全面的に
プロデュースしました。
RZAが日本人ラッパーの
アルバムを手がけるのは
これが初めてだそうです。
客演には
Joey Bada$$、FERG、
Lupe Fiasco、
Westside Gunnらが並びます。
本人のコメントは
「RZAという師と共に」
と始まり、
幼い頃から育ててきた
「私の物語を完結させるために
創った作品です」
と続きます。
2パックの歌詞で
英語を覚えた10代が、
本場の大物に
師事する形でたどり着いた
1枚と言えそうですね。
2026年5月13日には、
収録曲「Fear Us」のMVも
公開されました。
2026年は、
ヒップホップの外の仕事も
目立ちます。
1月19日には
ALIとの「黄金の彼方」の
MVが公開され、
動画の題には
アニメ『ゴールデンカムイ』
最終章のOPとあります。
THR Japanの
2026年7月の記事によると、
沖縄が舞台の
Netflix『ラヴ上等』
シーズン2では、
恋愛リアリティ番組の
MCに初挑戦し、
8月4日から3回に分けて
全10話を配信すると
発表されていました。
主題歌は、
沖縄出身のSPEEDの
「Body & Soul」の
リマスター版です。
Tokyo Weekenderによると、
Awichが最初に好きだったのは
安室奈美恵やSPEEDでしたから、
本人にも感慨があったのでは
ないでしょうか。
9月13日には、
題に
「THANK YOU
ROCK IN JAPAN
FESTIVAL 2026」
と入った短い動画も
チャンネルに出ています。
2026年11月のRed Bull Symphonicとは
2026年11月1日時点の
予定として、
いちばん大きな話題は
「Red Bull Symphonic
2026」です。
レッドブル・ジャパンの
2026年8月の発表によると、
アーティストの代表曲を
オーケストラ向けに作り直す
コンサートで、
日本での開催は
これが初めてです。
海外では
Metro Boomin や
Asake、Rick Ross らが
出演してきました。
発表された日程は
次の4公演で、
いずれも
開場17時30分、
開演19時です。
11月17日(火)
ザ・シンフォニーホール(大阪)
11月19日(木)
福岡シンフォニーホール
11月25日(水)
仙台銀行ホール イズミティ21
11月27日(金)
横浜みなとみらいホール
演奏は
Tokyo Secret
Orchestra、
指揮は Mika Takayama で、
料金は
S席9,000円、
A席7,500円と
発表されています。
Awichはこの公演について、
ヒップホップは
楽器を手にするのが
難しかった環境から
生まれた音楽だと述べ、
「自分の楽曲を
オーケストラで再構築できることは、
一つの到達点であり、
大きな意味がある」
とコメントしました。
オーケストラの響くホールで
ラップを届けるわけですから、
本人にとっても
格別の舞台になるのでしょうね。
所属レーベルや事務所は?
メジャーデビューは
ユニバーサルからでしたが、
現在の所属レーベルと
事務所は、
確かめられませんでした。
2024年2月の公式ニュースでは、
アルバム『THE UNION』の
CDの案内先が
sonymusic.co.jp でしたので、
ソニー系に移った可能性は
読めます。
ただ、
移籍を発表した文書は
見つかっていません。
公式サイトのニュースも、
2026年11月1日に
見た時点では
2024年12月29日で
止まっていました。
少しすっきりしない答えで
申し訳ないのですが、
これは当サイトの推測にとどめます。
活動の近況が
追いやすいのは
ファンクラブの
Asia Wish Childrenで、
2026年11月1日に
見た時点で、
お知らせは
9月25日まで
更新されていました。
まとめ
TOKIONの取材で
Awichは、
14歳の自分も、
夫を亡くした24歳の自分も、
落ち込んでいた26歳の自分も、
いま語っている目標を
口にできるとは
思わなかっただろう、
と話しています。
GRAMMY.comの記事では、
男性だったら
もっと有名になっていたはず、
とも語っていました。
遠回りを隠さずに
語ること自体が、
この人の強さなのかもしれません。

















